辞めたいし辞めたくない
受験、もう嫌です。
もう辞めたいです。
本当にそう思っているのかと聞かれると口ごもってしまう、まだ。
じゃあ辞めたくないのか、お前は
辞めたいです。
こんな自分が嫌です。
時期的にナーバスになっているんでしょうか?時間的に?睡眠不足によって?
なんでもいい…
絵って凄くて
そんなことは、私でも知ってて
絵って凄くて
すごくて、視えることって変で
それが面白いと思ってしまったから、
もっと知りたくなってしまったから、
絵の大学に行きたい。
という動機は、たぶん4年くらい前に形成されたもの
いつ?と聞かれたら、そういうタイミングは何回かあった気がするが、確実に覚えているのは、
4年くらい前に岐阜の美術館でみたj.w.ウォーターハウスの絵(本物)を目の当たりにした事だろう。油画を描き始めてまだ2年くらいだった私は画集チラチラ、画像チラチラくらいでしかウォーターハウスの絵みたことなかった。
「メルヘンな世界観の、写実の人」という認識でしかなかった。
本物はたしか美術館の常設展示で、入り口入ると、少し遠くの壁に飾られてるのが見えた。
すぐにウォーターハウスだとわかった。
「どれくらい緻密なんだろう?描いてるんだろう?」と思ってちょっとワクワクしながら近づいていったら、
ベッッッッッッッチョリの、絵の具(描いてるというより、画面に乗っかってる、置かれた、みたいな感じに近い)
それが、遠くから見たときはリアルな草で。
絵の具ってか最早、物質、というか。
え?…うそだろっていう衝撃
また入り口付近まで戻ると、やっぱり草で。
でも、すぐそこにあるのはなんか緑やら赤やらの絵の具で。
でも草って緑じゃないですか。
そこに赤の絵の具入ってるんですよ。
って衝撃
(それはいつしか私の萌ポイントになるんですが)
この人、なんなんだ?
と思って。
そしたら、目に見える、視えるってどういうこと?みえてるものってほんと?という謎が湧き上がってきて。
私の家って普通の家で、絵とか文化的なものが身近ではなくて、そんな高度な絵描きの知り合いなんかいなくて、
絵ってやっぱ凄いわ。
って感動してしまった。
絵が凄いと、絵描きが特殊能力者かもしれない、と気づいてしまったのは小学6年の頃、ダリの絵を見たことで始まってしまったんですが、
絵の具の衝撃っていうのは、ウォーターハウスの絵が印象深いですかね、私の中では。
そうしたら、常設展示されてる、ここにある、私を取り囲んでる絵達、その奥に潜んでる絵描き達は、わたしが知らないことを知っている、視えているんだ、ということがわかってしまった。そこが長い浪人生活の始まりだったのかもしれない。(未だ継続中)