それでもやはり
わたしは描こうと思います。
描くぞおおおお!(←はっ、そりゃそうだろ、そのためにバイト減らしてんだろうが、てか描く以外何すんの?無いだろ別に。てか受験するんだろうが、描けよ、うるせーんだよ、描けよ)←おおお!!ってなってるときの冷静な心の声
↓
やっぱ絵描くの楽しいわ
↓
わたしって何ができんだろ。わたしみたいな人間が描かなくても傑作は生まれるんだって、ほっといても。わたしってつまんない人間だよな、、、
絵なんか描けない、、、
↓
もう、描けないっっわあん
↓夜眠れなくなって昼夜逆転して情緒不安定になって時々元気になったらり落ち込んだりを繰り返す日々。猛烈に読書をし始める。わかりやすく現実逃避
↓
いや、まてよ、絵描くしかなくね?もういいや描こう。
↓
大事な時間を無駄にしてしまった!!!
自分って馬鹿なのかな?
なんかいつも、この繰り返しだよな、
自分なんなんだろ…ぐすっ
↓
自分みたいな人間が絵なんか描けるのか?
いつまでこんな生活なんだろ?
もう嫌だ、わあああああ!!!!!!
↑
現在地
こういう生活です。2018/2/15
辞めたいし辞めたくない
受験、もう嫌です。
もう辞めたいです。
本当にそう思っているのかと聞かれると口ごもってしまう、まだ。
じゃあ辞めたくないのか、お前は
辞めたいです。
こんな自分が嫌です。
時期的にナーバスになっているんでしょうか?時間的に?睡眠不足によって?
なんでもいい…
絵って凄くて
そんなことは、私でも知ってて
絵って凄くて
すごくて、視えることって変で
それが面白いと思ってしまったから、
もっと知りたくなってしまったから、
絵の大学に行きたい。
という動機は、たぶん4年くらい前に形成されたもの
いつ?と聞かれたら、そういうタイミングは何回かあった気がするが、確実に覚えているのは、
4年くらい前に岐阜の美術館でみたj.w.ウォーターハウスの絵(本物)を目の当たりにした事だろう。油画を描き始めてまだ2年くらいだった私は画集チラチラ、画像チラチラくらいでしかウォーターハウスの絵みたことなかった。
「メルヘンな世界観の、写実の人」という認識でしかなかった。
本物はたしか美術館の常設展示で、入り口入ると、少し遠くの壁に飾られてるのが見えた。
すぐにウォーターハウスだとわかった。
「どれくらい緻密なんだろう?描いてるんだろう?」と思ってちょっとワクワクしながら近づいていったら、
ベッッッッッッッチョリの、絵の具(描いてるというより、画面に乗っかってる、置かれた、みたいな感じに近い)
それが、遠くから見たときはリアルな草で。
絵の具ってか最早、物質、というか。
え?…うそだろっていう衝撃
また入り口付近まで戻ると、やっぱり草で。
でも、すぐそこにあるのはなんか緑やら赤やらの絵の具で。
でも草って緑じゃないですか。
そこに赤の絵の具入ってるんですよ。
って衝撃
(それはいつしか私の萌ポイントになるんですが)
この人、なんなんだ?
と思って。
そしたら、目に見える、視えるってどういうこと?みえてるものってほんと?という謎が湧き上がってきて。
私の家って普通の家で、絵とか文化的なものが身近ではなくて、そんな高度な絵描きの知り合いなんかいなくて、
絵ってやっぱ凄いわ。
って感動してしまった。
絵が凄いと、絵描きが特殊能力者かもしれない、と気づいてしまったのは小学6年の頃、ダリの絵を見たことで始まってしまったんですが、
絵の具の衝撃っていうのは、ウォーターハウスの絵が印象深いですかね、私の中では。
そうしたら、常設展示されてる、ここにある、私を取り囲んでる絵達、その奥に潜んでる絵描き達は、わたしが知らないことを知っている、視えているんだ、ということがわかってしまった。そこが長い浪人生活の始まりだったのかもしれない。(未だ継続中)
朝方、眠気と闘い負ける、ここ数日
2018/2/15
結局眠れず、間も無く5時をむかえます。
ここ何日もこんな状況であり、なぜならば現実から逃げたくてどうしようもなくて、眠るには頭が覚醒しすぎているから、です。
このままでは、本当に1人…のような孤独感に耐えきれずブログを書こうと思い立ちました(つい30分前、ブログ開設ってこんなにお手軽なんですねえ)
FBとかツイッターとかもっとお手軽&人と簡単に繋がれるツールはこの2018年にはあるのですが、そんなに緊密に?繋がりたくなくてブログを選びました。